Sew.
「それ」
所用で九州のオフィスに出向いてきた陽子が、ふと部屋の主に向かって指をさした。
人を指さすとは失礼な!──と言いかけた九州は、そのほっそりとした指先が己のほつれた袖ボタンをさし示していることに気付く。
「取れかけてる」
「ああ…たいしたことではない。ちょうど着替えがなくてな」
「身だしなみにうるさいあなたがそのまま、ってことは、よっぽど忙しかったのねぇ」
「フン、見て分からんか、この状況」
目も上げず冷たく言い放つ九州は、確かに現在進行形で机いっぱいの書類に埋もれていた。
こうして会話している間にも、次々と書面に視線を走らせながら、修正だの署名だのに追われている。
「ねぇ」
「今度は何だ、用が済んだのならさっさと行け」
「脱いで」
「──!?」
唐突なセリフに、さすがの九州もペンを握り締めたまま固まった。
「なん、だと?」
「脱いで、上着。すぐに縫ってあげる」
陽子はさらりとそう言うと、ポケットから小さな裁縫セットを取り出した。
こうしたものを常備している気遣いは、山陽ともどもさすがサービスの西日本、といったところだろう。
「ほら早く。あなたが仕事続けてる間にちょちょっとやっちゃうから。ね?」
「結構だ。だいたい、貴様だって仕事中ではないか」
「もう昼休みじゃない。あなたに会ったらそのまま食事に出ようと思っていたのよ」
「裁縫ぐらい自分でできる」
「知ってる」
つっけんどんな九州の態度にもひるむことなく、陽子は机ごしににっこりと微笑んで見せた。
「でもね…“何でも自分でできる”からって“何でも自分でやらなくちゃいけない”ってことはないでしょ?」
「……」
しばしの沈黙のあと、九州はゆっくりと立ち上がり、深緑の上着を脱いで陽子に手渡した。
受け取った陽子は部屋の隅のソファに陣取ると、鼻歌まじりに針を進める。
ちくちくと器用に動く白い手の影が、再び書類に向かった九州のメガネの端で踊った。
「…で?」
「え?なぁに、九州?」
「ランチは何がいいのだ?和食か?洋食か?中華か?」
「ラーメン!」
「ふっ、安いな」
「九州のラーメン、美味しいもん〜♪」
そうだな。
まぁまた今日は格別美味いかもしれん。
九州はふとそんなことを思いながら、幾分軽くなったペンの先を勢い良く次の書類へと滑らせた。
─END─
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